ももクロ ------- 俺が掟か!?
FIN DE SIECLE ANGE
『ハイ、前の車右によって停車しなさい』−俺か?いつも通りの道を右折しただけじゃないか?−『標識見えないの?右折禁止ね。ハイ罰金。お仕事何してんの?』−てめえに関係ねぇだろが!!!−

お決まりの年末の点数稼ぎに引っかかったのであった。しかも片割れは張り切りすぎの新人警察官ってやつだ。俺はこの世の中で一番嫌いなのは警察だ。政治家も大嫌いだ。警察や政治家がどんなに最低か。こんなにも多くのパンク・バンドが歌っているのは偶然なんかじゃない。社会をコントロールし、階級制度を保持し、現状を維持する為に、警察がどんな役割を果たしているのか、それについて俺はぜんぜん語れないが、とりあえず言っておく。俺はあのブタ共が大嫌いだ。奴等をブッ殺せ!

なぜ社会はアイドルの商品化を必要としていたのか?ひとつには、サブカルチャー/カウンターカルチャーというものは、常に知的/芸術的に新しいものを生み出す土壌だからだ。次にビッグになるものの芽はそこから生まれる。歴史的に見ても、アヴァンギャルドなものは水で薄められ、ゆっくりと、だがいずれはメイン・ストリームに同化していく。2000年代のアイドル・シーンも、こぶ平率いる48グループなど、過激な接触に頼るカウンター・カルチャーとして売れないといわれるCD販売実績に堂々とその名を馳せるも、何枚もの同じCDはゴミクズ同様に握手券のための付属品ての現状だ。商業化されたコンタクト・カルチャーからは、握手券だけが抜き取られ、うすっぺらい音楽は握手券の使用をはじめとした接触だけに重点が置かれるようになった。薄められ商品化されたものがもてはやされるのは何故か?アイドル・オタクは常に認知を貰いたいからだ。自分が、他のオタクとは違うのだということを主張したいのだ。認知を貰うためならではのものを表現したいという、強い欲求があるのだ。何かビッグで流行っているものに自分も参加しているのだと実感したいがために、徒党を組みたがるのだ。だから“オタクしてる”がホットな自分になり得る。ピンチケ・カルチャー産業によって作られた出来合いの反抗。カレッジで暇を持て余したサークル活動の一貫として若者向けにでっちあげられ上手くいったムーヴメントのいい例だ。それで数多くの現場を荒した。こうした作られた反抗には、現場打破の力などある訳がない。それ自体がお寒いクソったれな現状の一部だからだ。しかしピンチケのお蔭で現場が出来上がるのは確かな証拠だ。あいつ等がいなければ現場は死に体も同然だ。良い部分を協調し合い、互いに素晴らしい現場が出来上がる日はくるのか?

ここで最後に先人ヴィック・ボンディーの名言を一つ。

『自分にとってハードコアは現状に対する反抗のひとつの表現方法だった。思想、あるいは系統だてられた権力闘争というような意味ではポリティカルとは言えないが、威圧政治に対する反乱という意味ではポリティカルだった。ハードコアであるということは、決して支配されることなく商品化されることでもなかったし、消費主義に呑み込まれることでもなかった。中心にいる人間にとって、ハードコアの核にいる人間にとって、必要な何かだった。ハードコアと言ってもその意味するところは人の数だけ色々あるが、共通すのものはただひとつ。安易に近寄れない孤高、決して操られることのない、金で買収することの出来ない絶対的な誠実さだ。』その通りだぜ!ヴィック(ARTICLES OF FAITH)は過去形を使ってハードコアが死んだみたいな書き方だが、ストリートでは今もハードコアは生きてるぜ!

<Renix Von Sioc>